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庭には今白い色の花が咲いています
4月中旬が 平均気温よりうんと高温だったためか 今の方が寒く感じますね 近隣の屋根に止まって 我が家の庭を見つめるペアの鳥は 時々庭に降りてきて エサを探している様子。 ぷくーとモフモフの毛が あったかそうです。
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by hiroko-miki
| 2023-04-26 21:01
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by hiroko-miki
| 2023-04-02 09:16
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人それぞれ それこそ お誕生日を1年の区切りにしている人もいるかもしれません。 最近の私は 何かの行事の記憶より 2月の確定申告などの提出時期等が 結構ストレスのある時期になっているように思います。日本の役所の手続きは どうも理解しにくいし なんか理解しにくいような仕組みにわざとなっているような気がして (私、素直でありませんね)どうも日本がわかりません。 しかし桜の開花は ある意味 新しい1年の始まりと気持ちがリセットでき 桜は いつ見ても美しいです。 いろんな想いをもって この家から一番近い疎水沿いの桜を 何十年と チラ見はしてはいたのです。 私が50歳のちょっと手前ごろ 父の体調に変化があり それを区切りに オーストリアの大学の休暇時期になると 必ず帰国をし 休みは日本で暮らすことになりました。当時日本の大学からもお声がけをしていただいて正規の教授の席はあったのですが 日本は労働時間とその他いろいろ役職により縛られる責務が多いので 近くにいても看護や介護はかえって集中できないだろうと思い オーストリアに勤務しつつ 渡欧 ⇄ 帰国 のシャトル看護を目指したのです。 オーストリアの大学は結構休暇が多いのです。 12月20ごろから1月7日ぐらいの クリスマス休暇 2月1日から3月初めの ゼメスター休暇 年により変化はしますが 4月初めごろの イースターの休暇が2週間 そのあと フィングステンの休暇が 数日 そして7月1日から9月末までの3ヶ月の夏の休暇 10月末から11月初め1週間ぐらいの 秋の休暇 結局合わせて約6か月が 休暇です。 反対に言えば 授業のある、ひとゼメスターは 3ヶ月ぐらいなので まずいかに休暇中の自立した自習が授業のある期間での習得につなげられるかにかかっており 休暇中は休暇ではなく 休暇中こそ 学生は独自で学習せねばならなく また上達できるチャンスなのです。これは いかに受け身の学習ではないかというシステムを意味していて 日本の教育と大きく違うところだと思います。 そのように 休暇が多いので 日本に帰国は少なくとも毎年6回ぐらい往復し、 多い時は年に9回行き来をしていました。 ただ 帰国をしても 桜見物や 紅葉見物に 出かけることは出来なく この写真のように美しいな~と感じ取れる ゆとり は まったくない日々でした。 父亡きあと 一人で頑張ろうとしていた母ですが 所詮 頑張れるタイプではない人です。 横浜に住んでいる姉は 頻繁に里帰りをして 助け続けていました。 しかし 歳老いれば 助ける方も体力がなくなりますので 姉を助ける意味で 定年を区切りに 完全帰国を計画しました。 心配性の姉には いくら労力的にお手伝いしてくださる人員を雇ったとしても あるいは 高級老人ホームに入居しても 姉の心配が減るわけではないので 私のように何も役立たずでも 母に笑いと話し相手ではプラスになるだけですが これが姉への安眠剤だと考えたわけです。 その結果 母と桜見物に出かけられたことが 本当に良い思い出になりました。 勿論 車いすで行ける近場です。 お弁当をこしらえて ゆっくりゆっくり歩いて 日向ぼっこをして・・・・ ただ いまだに 母と行った場所には 胸が痛むので足が向きません。 でも その後のコロナでの外出禁止などの世になるなんて考えられない事でしたから 帰国したくても帰国できない状況に巻き込まれなかったこと それどころか 良い思い出をいっぱい作ることが出来たことに 心から満足しています。 疎水沿いの桜を見て そんな過去のことが頭をよぎりました。 #
by hiroko-miki
| 2023-03-31 08:42
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テレビのスポーツ番組 しっかり かじりついてみてました。
野球も 相撲も フィギアスケートも やっぱし スポーツはいいですね ふだん 野球は見ない人なんですが なんか 初めに見てしまうとしっかり最後まで釘付けで応援していました。 専門用語も知らないし 日本の大スターである選手も初めて見たようなレベルなんですが 一目で吉田選手のファンになりました。 なんで? 彼のしなやかさに惚れたということかな? 試合の流れや 全身のいたるところに目を持っているように全身の動きがきれいで かつ エネルギーをボールに託すように手放すところでしょうか このタイミングが絶妙だと思いました。 これから応援したいなっと思ったら これからアメリカで活躍するんだってわかって ちょっぴり残念です。 お相撲は 実際 大昔 大阪場所に何度もナマを見に連れて行ってもらったことがあって 結構熱心なファンです。 今回優勝した霧馬山関はいつしかジワジワ チカラをつけて来てましたよね。 いつも涼しい顔をして なんとなく素知らぬ顔で土俵にあがって 勝っても負けても 今日のお仕事終わりです・・とばかし すーっと立ち去る。日常生活のルーティンが相撲みたいで 土俵のためにルーティンがあるように見えないところが個性ですネ スポーツも テレビで見るのと 実際の試合を目の前で見るのとでは 全く違うでしょう。 音楽もナマの演奏を体験するのと ユーチューブやCDなどから聴くのとでは 全く別物です。 音楽 特にクラシックの音楽は無縁だと感じている方に ぜひ 何度も音楽会に足を運んでいただき それも 何十回と体験して頂かないとダメなのですが そのようになればいいのになあ~と思います。 #
by hiroko-miki
| 2023-03-28 21:47
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コンサートでのトークについて
大阪で開催するクラシックファンの会では 必ずトークをするのですが 大阪では サラリーマンの男性が多いので専門知識は入門書レベルにいたしております。 普通のコンサートでは おしゃべりは無しというのが 常です。 今回の名古屋は 選曲した曲が音楽関係者といえども説明が必要だと判断しまして 少しお話させていただきました。 ご来場者はピアノの教師が多いであろう。でも 学生も来るだろう。 また 若い小学生たちもいるかもしれないということで 言葉をなるべくやさしく選びました。 次の文章は メモしていたもので 実際はこのようには 話せていないと思いますが・・・。 こんにちは! ウルマンの作品を紹介します。 ロシアがウクライナに侵攻して一年過ぎても いまだに 平和への明かりが見えるわけではありません。大きな宇宙から見れば 地球という惑星で ロシア君というガキ大将と アメリカ君というガキ大将と いじめにあっているウクライナ君と それをじっと見ているヨーロッパ君と そのガキどもの ちょっとした駆け引きに 漁夫の利 で 儲けを考えているガキ大将も存在しています。 ここでガツンとカツを入れる世界のママがいればよいのですが どうやらそういう人はいません。 マッチ一本の火遊びが いつ 世界を戦火にしてしまうかもわからない状況です。 そういうなか 歴史は繰り返されるということを思い出せば 1943年のウルマンの作品を 思い出してしまうのです。 ウルマンは知名度の低い人ですし、まず教材としても演奏会のプログラムにしても 取り上げられない曲です。 生まれは1898年 当時のオーストリア=ハンガリー帝国のテッシェンで生まれ 指揮と作曲をウイーンで学んでいます。 シェーンベルグに学んでいます。 プラハにて指揮者として大活躍していました。 1940年 ナチスがプラハに侵攻し、ユダヤ人である彼は 身を隠すことに努力をせざるを得ません。 住居を転々と変えます。音楽活動のような目立つことはできません。音楽をあきらめた生活を余儀なくさせられます。 ジャーナリストという国境を通過しやすい職業についたり 本屋をいとなんだりしますが とうとう 1942年とらわれて テレージエン強制収容所に連れていかれます。そこでは 音楽家であるがゆえに音楽を担当させられます。 彼が友人にあてた手紙には「決してプロバガンダのみずものそばで 泣いて座っているわけではなく 芸術に関する我々の努力は 私たちの生きる意志にみあったものです。 最も大きな貢献をした」 と書き綴っています。 もう逃げまくることの必要もなく 音楽が出来ない生活でもなく 生きるのだという意志を持っているのです そんななか 収容所で音楽会が企画されます 彼は1943年8月1日のたった一日で 今から弾くソナタ6番を作曲しました。 この曲だけが収容所で演奏された曲であります。そして 手書き楽譜を 友人に郵送したので 楽譜は消失 焼かれることをまぬがれて残っております。 どういう思いで曲を作曲したのか 明日の命はわからない状況の中 ほかの作曲家ではありえなかった環境なのです。 作曲された翌年 ウルマンはアウシュヴィッチ・ビルケナウに身を移され 移動した2日後には ガス室で殺されました。46歳でした。
この作品は ソナタというタイトルがついていますが 厳格なソナタ形式ではありません。 4つの楽章は 一つのモティーフで成り立っています。それは4つの音で出来ています。 長2度と短2度との組み合わせです。 反進行をさせたり 和音での同時打鍵もあります。 組み合わせはいろいろです。 (略) 私は 4楽章の最後のコーダを弾くといつも思い出すのが ローゼンカヴァリアのフィナーレの場面です。 きっと ウルマンは ローゼンカヴァリアが 大好きで 昔の思い出に浸っていたのではないかと思えてくるのです。 この曲には 戦争反対とか 何か活力を与えるとか気分を奮い立たせるというような目的は無いと思います。 すべてをなくし 何もかもなくし、 希望も未来もない日々のなか 十分な食料を与えられるわけではなく 過酷な肉体労働を課せられ、 そういう死というものを意識しているなかで 死ぬために生かされているという中で ウルマンは自分の思考は誰からも弾圧を受けないことを祈っていたのではないでしょうか 後半に弾くベートーベンのように 怒りや嘆きや自分との葛藤や 人類愛を歌い上げるということはしていません。 ウルマンは四方八方縛られた生活の中で いかにその中でも思想的に自由を失わないで 開放感や夢やジョークを描くかということに努力しているようです。 80年前もウルマンが見上げた空は 青空でもあり 星空でもあったでしょう。ウイーンで見ていた空もテレージエンで見える空もかわりはしない。ユダヤ人であろうが何人であろうが 神様は平等に自然を与えてくれています。 今 地震で被災した人々も空を見上げ ウクライナの人の頭上にも青空はあります。我々がやさしい気持ちで青空を見上げられるには努力が必要だと思います。 努力なしに平和は続きません。 音楽会は楽しいことを提供する場ばかりではないです。さらに昨今の教育機関においても 技術先行で 受験やコンクールでの栄光を目指し それに勝ったものが音楽ビジネスの営利主義に乗っかっていけるという風潮がありますが 音楽はそんなためにあるのではない事を 忘れてはなりません。それゆえ 今日のコンサートにこういう選曲をさせて頂きました。
だいたい このような感じでお話したと思います 終わり #
by hiroko-miki
| 2023-03-15 23:39
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