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海は 飛行機から見ていたり 新幹線から見ていたりで 見ていなかったわけではありません。 でも 尾道駅を降りて 2分ほど歩くとそこは 磯の香りが漂う”海”。 磯の香り! 磯の香り! 何度も深呼吸をして 磯を肌で感じました。この匂いは 昔と変らない。不思議とイタリアや北欧での海辺の匂いとは ちと違う。日本の漁村の匂いです。 瀬戸内海の美しい景色が見れると思って20分ほどかけて出向いた尾道でしたが 最初の感動は 磯の香りでした。気分良く海辺を歩き インフォーメーションで教わったロープーウエイに乗って 高いところに行きました。ザルツの周辺の山でも よく高いところに行って景色を見ていましたが なんとなく似ている感じです。 家並みを田園にオキカエ ポツリポツリある島島を 山々の山頂と置き換えれば よく見ていた風景に重なりました。時計と睨めっこだったので すぐに下山して みやげ物店などがある駅前商店街をあるき 駅のそばの和食店でおいしいお刺身や小魚のフライを頂きました。商店街が観光客のみに考えられているわけではなく普通の市民の必需品もうっていたり、古いお店もあったりで昭和をかんじていました。 そう、私は平成の時代はすっぽり抜けている人間です。
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by hiroko-miki
| 2018-12-31 08:20
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帰国して1年がたちました。ブログに書きたいことがあってもなかなか手元にパソコンが無かったり パソコンが壊れていたり カメラが壊れていたりで うまくいかず 更新が極端に少ない、という結果になりました。。。。。
すこしずつ 書けるときにメモの気持ちで 帰国後に感じたこと 考えたこと 現状を書いてみようと思っていたのですが 結局パソコンの前に座っていられることはなく・・・・ 。。。。 まずは 完全帰国以前の私は 少なくとも18年間ほど モーツアルテウムの授業の無い時期は たえず帰国をしていましたので それなりに心の準備も含めて 準備していたのです。多いときは年に9回ザルツと日本を行ったりきたりした年度もありましたが 最低でも1年に4回は帰国をしていたのです。ちょうど父が80歳、母が74歳のころから 休み中は親孝行に切り替えました。今思えば もっとその時期に演奏活動に時間を割いていたら私自身の人生は変っていたと思いますが 親孝行が第一の自分の仕事であるという考えが根を張っていたので そのようにしていたのです。 それでも いざ 完全帰国となると 短期の帰国では見えなかったこと、あるいは最近 急に変化をしている日本の姿に驚きは隠せません。 はっきり言って 日本に帰ってきたという気持ちになれずに1年が過ぎました。なにしろ スーパーに行こうが Cityに出向こうが 日本語より外国語のほうが聞こえてくる京都なのです。観光地に行っているわけではありません 地下鉄では大きなトランクを持った中国人、 デパ地下食品では ドイツ語も英語もスペイン語も聞ける外人様ばっかり。 京都の市バスはとても小さいので 1台目には乗れないときもあるほど並ばなければならないこと。しかもバスは昔どおりに平日の昼間が一番本数は多いのですが それでも1時間に4本です。最近は夜のライトアップで 夜にじっとしていない観光客が増えていますので その時間帯にかち合うものなら 1時間はバスに乗るための待ち時間が必要なんですよ! ザルツブルグでは明らかに外人であるという意識を持って暮らしていましたが 京都でも 外人のままの気持ちで暮らしてこれたのです。見た目とか歩く姿勢とかも日本人らしくないらしくって 京都で買い物をするときに店員には英語で話しかけられることが多々あります。そのときは 私、日本語ダイジョ~ブよ、といって日本語に切り替えてもらいます。。。。。。 そんな自分ですから 自分のイメージする日本の姿を捜し求めることとなります。 音楽のお仕事に関しましては 春から 講演会 大学での講義 コンクールの審査 など 小さいお仕事をぼつぼつやらせていただいています。そこでは 私の世代の二つ前ぐらいの世代の方々のご努力が 今の形を形成してきていることを実感します。その時々での最大のエネルギーをかけ 苦心なさっておられたことが 次世代に引き継がれ 今の状況になっていることがよ~くわかります。それでも 関係者は より良くしようと四苦八苦なさっておられます。 手塩にかけて育てた生徒を音大に行かせ さらに留学させ その熱意は しっかり生徒に影響しています。 ものすごく素直に指導者の意見に従える才能がどの生徒にもあるのは ザルツブルグの生徒ではなかった点です。 スポーツの世界で 修行に暴力が加わっているか否かというテーマが聞かれますが 音楽の世界でも似たり寄ったりかなって思います。 ときに 忘れていた日本語が思い出されるときもありました。 「ピラミッド、とか 年功序列 とか」です。 42年間 人と対等に接していく社会にいたわけですから 「あ、そうだったんだ~、、、とか 次は気をつけねば、、、、」と何度もリセットです。 そんななか 心から感動したところの 「コンクール」と《表札》を掲げておられてはいるのですが 中身はよくあるコンクールとはまったく違う素晴らしい「コンクール」に 出会うことが出来ました。それは広島県の福山で行われたコンクールです。 フツウのコンクールは1位になった人だけが満足をするのだと思います。 予選でダメだったとがっかりしたり 入賞できなかったのはなぜだろうと悩んでしまう人もいるのがコンクールです。。。。 審査がおかしいと 文句も出るときさえありますよね。 しかし 福山ではこのコンクールに携わっている多くの方が幸せになれるコンクールだと思います。 わたしは 審査をさせていただいて 広島の人の よき日本の心に触れさせていただきました。 それは広島だからなんでしょう。 心が心をつなぐという皆の体験なのでしょう。つい8月6日にしか思い出さない原爆のことですが 広島の人はあれ以来一日たりとも忘れられない事実で そういう悲しみがあるから 人を大切にし、人に役立ちたいと思い、人とは心でつながっていくものだと 確信なさっているのだと思いました。 今回幼児で参加した子が 30年後でも その子の心の中にいい思い出として このコンクールは思い出されるはずです。2003席もある立派なホールで 大きいグランドピアノで弾いたことは これからこの会場に足を運ぶ度ことに 僕もあそこで弾いたんだよ、って思い出すでしょうし コンサートホールに足を運ぶことに戸惑いはないでしょう。 市民がコンサートに足を運ぶということも コンクールは役立っているはずです。 それが音楽を発展させます。 なにしろ 表彰状と言う紙だけをもらうのではなく いろんな固有名詞のついた賞が沢山あって 何かしらの賞をもらいトロフィーがもらえます。 大きさはいくつか種類がありましたが お家のリビングかに飾ってもらって みんながいつも見れているということはいいな、と思いました。 だからこのコンクールは 今年で76回という 日本で2番目に長い歴史をもっており 続いているのです。"心""kokoro""こころ”という大事なことが コンクールという表札の扉の向こうで 教育されていることに 私自身は心から感動しました。 予選の時にホテルのフロントで 海が見たいのです、といったら 20分ほどで尾道にいけるし尾道はいかがですか、と勧めていただきました。 そして がんばって尾道に行ったのです。そのときの写真を次の その2に。 #
by hiroko-miki
| 2018-12-31 08:19
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by hiroko-miki
| 2018-11-06 00:41
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by hiroko-miki
| 2018-10-25 19:14
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日曜日は秋晴れ。さわやかなブルーの空は久しぶりに思います。こういうブルーの空はザルツブルグではしょっちゅう見れたのに京都ではまったくめずらしいこと。それゆえか初めてザルツブルグの夢を見ました。 どういうわけか父と母と姉とでザルツブルグのトロリーバスに乗っています。空港からだというのにトランクは持っていない。 そして 私だけオイセラーシュタインという停留所でおりて 両親たちに先に私のアパートに行って頂戴、と別れる。 で、降りてから鍵を手渡していないと気づいて あわてて次のバスに乗り込む。するとバスのチケットを持っているかを調べるコントロールの人が乗ってくるのよ。 で チケットは持っているのにビクッとして またマカルトプラッツというところで降りて教会やホテルをながめている。アパートのそばの停留所じゃないんだけれどね。 夢で見るザルツブルグはとってもきれいだった。。。。
きっと去年の8月にザルツで荷造りして そのまま保管していた荷物を いよいよ実家にいれるので 頭の中は混乱していたのだろう。 ところで 日曜日は平安神宮のそばで東京芸大の京都出身の卒業生であつまる同声会京都支部のお食事会があったので 本当に久しぶりにお出かけとなった。平安神宮の鳥居の朱の色がめにつき ツーリストなみにシャッターをきる。1枚は交差点で。もう1枚のは近代美術館の中から。藤田嗣治氏の展覧会をやっていた。 #
by hiroko-miki
| 2018-10-24 18:16
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