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幼稚園の時 たしか 百日咳か何かの病気で 家にじっとしていなければならなかったことがあります。 最初は ぐったりしていたのでしょうが 良くなりかけても じっと寝ていなさいと言われ めちゃくちゃ 退屈だった記憶があります。 その時に お絵描きがしたいと母に言い 朝 お花を用意して!とおねだりしたけれど 待って 待って 待たされ ようやく夕方に お花を持ってきてくれました
その時には 待ちくたびれて もう 絵を描く元気は減っていたのですが それでも 花瓶のあたりから 下から 書いていったら 上にいくほど クレヨンがなくなっていき 希望の色がないとか 思い通りには 描けなかったことを よく覚えています。 当時 近所の幼稚園で お絵描き教室があって わたしはその教室に通っていたのですが 後日 この教室の先生がこの絵を見て 展覧会に出され 表彰されました。先生に教わりながら描いたわけではないのに これを選ばれたのですが 先生というものは 決して直接に手出しして 指導するものではないのだと 子供心ながら学んだ記憶があります。 その時の先生が かの 岩沢重夫画伯で ご立派な先生にお習い出来たのは 私の宝です。
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by hiroko-miki
| 2025-05-11 10:44
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以前にも書いたことがありますが 母方の祖母が とても音楽好きでして 確か明治時代かにすでにアップライトのピアノを購入していました。 それで 母は幼少時からピアノのお稽古をさせられており 時にドイツ人のレオ・シロタ氏のレッスンなんぞにもお習いしていたのです。 女学校の時にはリストのハンガリーラプソディーぐらいのレベルで校内演奏会などで弾いていたプログラムも残っています。今回断捨離で沢山のそういう類のパンフレットを目にし へ~と驚きました。彼女の使用した教則本はもちろん残っていますから ピアノを習わされていたことは知っていました。 母は何かの発表会の直前にトイレに行ったら そのドアが開かなくなって必死におてんばだったことが幸いして ドアを乗り越えて舞台に直行したという話は 聞いていました。そういう話は覚えていて話してくれていましたが 何を演奏したとかは一切話題になりませんでした。 きっと そんなにピアノが好きだったわけではないのでしょう。思い出したくなかったことなのかもしれません。 しかしそのうち 戦争のため洋楽を弾くことは許されませんし 空襲警報で怯える日常に変わっていきます。 そのタイミングで母はピアノから遠ざかっていったのだろうと思います。
しかしそのアップライトのピアノは戦火が広がる前に京都に運ばれてきており 京都の家で今もなお私たちの生活を見つめています。祖母にとっては お宝だったからでしょう。 さて 姉が数えの6歳頃になってピアノを習わせなきゃと思った母は 京都で有名であった先生に相談に行きました。 その先生は手がいっぱいだからと別の先生を紹介して下さったのですが その2番目の先生は幼い子は教えない主義でいらっしたので さらに別の先生をご紹介くださった。 それでこの3番目の先生のところに母は姉と私を連れて面会に行ったのです。姉はOKでお習いすることができたのですが 私は生徒としてとっていただくことはできませんでした。 今思えば この時点でピアノとのご縁をなくしてしまった方がよかったのかもしれません。 姉のレッスンに毎回 私もつぃていきました。 私はレッスン室内のソファーやら椅子を数分ごとに移動するぐらいじっとしてなく それでも毎週ついて行っていました。きっと じっとしていないことで私が居るというアピールをしていたのだと思います。 ひょっとして裕子ちゃんもお稽古始めましょうと言っていただけるのではないかと 内心期待していたのだと思います。姉と同じことをしたかっただけだとおもいます。 そうして まつこと2年。 やっと 先生が裕子ちゃんも来年 年があけたら お稽古始めましょうと言ってくださった。毎週レッスンの曜日が決まっていたので 最初のお稽古日が確か1月2日だった。 それで お年玉より今日からお稽古始まるんだ、とわくわくしていたのだろうと思いますが 母はお出かけの準備をする様子が一向に無い。 そこで私は催促したのです。 すると 母はお正月3日間はお稽古はお休みなのよ、とシラーと言って さらにもう1週間待たされることになったのです。またしても空振りだったのです。 そうやって ようやくピアノのお稽古が始まったのですが 私の性格上 ちゃんと練習するタイプではありません。 なんでも姉はさっさとお宿題は済ませるしピアノも自ら練習に向うし まったくご優秀な方なのです。 それに比べると 私はダメな子でした。 ある時 お月謝をお支払いするということもあって母の代わりに祖母がレッスンについてきた。 彼女はレッスンの後 デパートに行って その出来栄えによってデパートでご褒美を買ってあげると 家を出るときから言っていた。 ただ レッスン中は 祖母はピアノの先生のお母さまと 別室でお茶をしておしゃべりをしていたので レッスンの実情は自分の耳では聞いていない。 さて レッスンがおわり 祖母は先生に 出来栄えをたずねていた。 先生は姉のことは褒めるけれど 私のことはもうちょっと練習してほしいといったのだ。 私はなんで 今日に限って そういうことを話すのかと 悔やんだ。 予定通り そのあとデパートに行き祖母は姉に大きなフランス人形で しかも陳列ケースのその中でも一番良い場所に陳列されているお人形を すんなり 買ってもらっていた。私には どれが良いのかという質問さえしてくれない。 完全に無視!! そこで 私は駄々をこねて これ以上の大声は無いだろうと思う声で 泣きに泣きに大なき声を出した。祖母はあなたは練習が足りないという先生のご発言だからと 絶対に何かを買ってくれる様子は無い。 祖母は厳しい。相手は手ごわいのだ。 それで私は反論を始めた。あなたはイチオンすら自分の耳で聞くこともせず先生の反射的な一言だけで どうして私がさぼっていると決めつけるのか、それは正しくないという意味のことを泣きながら言ったのは覚えている。 だんだんデパートの売り子も周りの人も注目しているのがわかった。 祖母はみんなにご迷惑をかけていると悟って しょうがなしに 陳列ケースの上のカゴに積んであった ゴム製の小さな人形を 一つお願いしますと売り子に言って そこを離れる手に出た。 幼稚園の頃から私は 厄介な人間なのだったようだ。 ダメならその理由を話せと 食いつくのは 今でもあるあるの性格です。 いや ちっとも人間は変わらないのかもしれない。 なにしろ ひろちゃんは生意気といつも言われていたのだ。 そのゴムの押せばぴゅーという音の出る人形が 今でも手元にある。この人形は 私と祖母の口論の貴重な思い出の品です この子が その人形です。 #
by hiroko-miki
| 2025-05-06 14:09
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只今 家の物の処分にほとんどの時間を費やしていますが 段ボールの中から幼稚園で描いたお絵描き帳が出てきました。
どんなものでも成長の記録として 場所がある限り 残すということだけ脳裏にあったようです。 私には3人の子供に恵まれた姉がいますが やはり3人の幼稚園時代からの子供の作った物など どうしても処分できないと話していました。 自分の衣類などはさっさと断捨離出来ているのに 子供の成長の記録のようなものは お宝なのです。 納屋の奥の奥には その母の幼少期の物が出てきています 結局祖母が 同じ気持ちで保管していたことになります。 廃品業者さんのように 情を介せず 仕事として行動できる人にお願いする勇気と言いますか 手放すことが 時短になるわけですし いずれ 廃品処理になるわけですが この親の気持ちをかみしめていると 時間がかかります。。 もし 保管する場所が無かったり 転勤族で 移動の際に持っていけなかったり そういう環境だったなら 必然的に残せなかっただろうと思うのですが 第2次世界大戦のときに その当時の大阪のど真ん中の船場での暮らしが 空襲で焼け野原になり 母に言わせればめっちゃ小さな家である京都のこの家で暮らさざるを得なかった。母の幼少からの作品はかなりの数を持ち込んできているということに いわゆるお宝という金銭になるものを押しのけても運ばれたことがみてとれます。 なにしろ母の尋常小学校時の教科書も どっさり出てきたので たまげました! いつだったか 生徒の中でユダヤ系の子がいましたが 彼のおばあちゃんがドイツから逃げる際に オーバーの裏地に 宝石類を全部縫い込んで 重くなったオーバーを着て逃走したという話をしてくれました。 何かの時には その宝石を売って暮らさねばならないという考えで 生き延びたということだったようです。 さて そのような幼少期のものは 写真にとって 処分することといたします 切り紙と色鉛筆で組み合わせて作っています 見ているだけでとても楽しいです。 いぬ このピアノのお稽古を始めたときのころの様子はいずれ書きます。 。
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by hiroko-miki
| 2025-05-03 07:09
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今年は 何かとバタバタした毎日を過ごしていますので すっかり イースターの飾りつけを 怠ってしまっておりました。 それでも日曜日に気づいて 今日はゆで卵を食べようと思ったりしていました。ザルツブルグにいるときは イースターが待ち遠しくて 2月、3月の気候の変化や 断食を気にしておりましたが 日本にいるとパクパク食べていて 栄養過多で 別の気がかりが生じています。。。。。
さて日曜日には ニュースでバチカンの画像を見て 懐かしんでいたのですが 翌日のニュースで ローマ法王が帰天なさったというニュースに 驚きました。 なんというタイミングで神様は お呼びになったのだろうかと。 このお日にち この世界が全く平和でない不安な時期に お呼びになった。 なんということかと ただただ驚いています。 いくら祈りをささげても 人間のやることはどこか悪がなくならない。残念なことです。トップの人が 心から平和を願う話し合いをしていただきたい。神様はそのような話し合いを望んで まるで法王を身元にお呼びになったようだ。 トランプ大統領はかなりのカトリック信者だときいているし、石破首相もかなりのカトリック信者だと思うので お葬儀には飛んで行ってほしいですね。 ほかの官僚より誰よりも 石破さんは こういう運命の星にいる人だと思うし 任務を 祈りでつないでほしいです。 #
by hiroko-miki
| 2025-04-23 14:25
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前回のブログで 植物園の入場料が 値上がりしましたよ、と書きましたが もう少し書き加えたいことがあります。
それは値上げ前は 70歳以上のご年配の方には 無料でした。 植物園を庭のように感じて散歩をする人、 写真を撮りまくる人 スケッチをしている人 などなど みな 余暇を有意義に過ごしていたように思います。 動くこと 新鮮な空気を吸うこと 人と会話すること お花の様子に季節を感じる事 などなど そこには お年寄りの暮らしの中に入り込んだ うるおいが あります。 そのご高齢者からも4月1日以降 65歳以上の人のグループにまとめられて 入場料が1回250円必要になりました。 京都市の市バスや地下鉄の乗車料金も 値上がりしました わずかな 年金暮らしの人が 食費も削らざるを得ないとか 安心して散歩が出来る道がなくなったゆえ 結局 家でじっとしていなければならない、というように仕向けられていることを感じます 医療費もあがりました。 足腰が弱ると 認知も悪くなるそうです。 そうなると 介護に影響が出て 世話をする人が足りなくなり 悪影響が数年後モロに 出てくるでしょう。 何もかも値が上がって 植物園の管理にも費用が高騰していることは わかりますし 今の時期に値上げをしなければ いつ値上げのタイミングがあるのかと 役人は お金をとりまくっております。 先の先まで考えた良き解決案がないものであろうか なぜ もっと早い時期に 対策がとられなかったのであろうか? お年寄りの今までのご苦労に感謝の念はないのか 人を想う気持ちはないのか すべてが お金儲けで 始まって お金儲けで終わっている 昨日は 名古屋音大の授業の日でしたので 新幹線を利用しました。 京都駅は外国人でいっぱい。まともに歩けないし プラットホームは 危ないとかんじるほど 狭く感じました。 私は 毎回 指定席をとらず 駅に行ってそこで入ってきた新幹線の混み具合を見て 空いた席を探して 出勤しています 何せ 京都と名古屋はわずか35分だから どこでも良いという考えです 1台目は かなり混んでいたので その次に来たひかり号にのりました。 ひかり号といっても名古屋へノンストップで行くひかり号だったので 先の乗らなかった列車とは到着時間に5分ぐらいしか差がありません。 それに どういうわけか ひかりは大変すいていました 車内の2人掛けのところに一人で座っている人が15人ぐらい 3人掛けの方は ほぼ誰も腰かけておりませんでした そこに 私と同じに京都から 若いお母さんが 乳児をかかえ 2歳ぐらいの子をベビーカーにのせ おばあちゃまらしき人が お荷物を抱えて 乗車しました。 そこでそのベビーカーを置く場所に戸惑っておられ トイレのそばの出入り口のドアのわきに おくしかないかな~と話しておられます そこで 私は車内をみわたし めちゃくちゃ今日はすいていると見ておいて その家族にどこまで乗車なさいますかと聞きました 答えは静岡です 静岡までなら 名古屋で数名乗ってきてもまだ 満席にはならないだろうから 3人席の2つを向かいあわせるようにしたら 席のところの隙間に おそらくベビーカー入るのではないかと提案して うまくそこに おさめて 3人掛けで向かい合って おばあちゃまも子供たちもホットなさって発車になりました。 楽しそうでした。 すると すぐ 車掌がとおりがかり 座席の向きを変えたこと、 ベビーカーが乗客の邪魔になるだろうから 同じ方向に座りなおすように言い出しました。そのファミリーは返答に困っておられたので 私の提案だったこともあり 私は口出しをしました。 車掌に 安全面で この場所が 邪魔にならずに 一番安全ではないのか? 今日のようにすいている場合 十分にほかの乗客も座われるのではないか 万が一 満席の場合だって 向きが進行方向でないから ダメであるということにこだわる乗客ばかりではなかろう そういうと 車掌は むかっとしたようで 見る見るうちに顔が真っ赤になりました。 そういう決まり事なのだと 言いたいそうです それなら なぜ 座席が回転できるように なっているのか なぜ ベビーカーを置く場所を 説明しないのか なぜ 旅を楽しむ人の心を くみ取らないのか なぜ 臨機応変に その場のベストは何かを思考しないのか その車掌が ぼさーと突っ立っているので 仕事をしたいので あっちに行ってくださいと言うまで その車掌は棒立ちでした この状況を見ても 今の日本は 病んでいると感じます トランプ大統領との 関税交渉の様子を見ていても これじゃ ダメ ダメダメ なんで 本質を読み取れないの? もう 情けなくって 日本は政治家も役人もマスコミも みんな ダメ 日本は沈没する道しか残っていない!! まことに なさけない !! #
by hiroko-miki
| 2025-04-18 18:24
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