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つい先日ショパンコンクールの結果がNHKニュースでしかもトップで流れた。 ドイツやオーストリアにいると ショパンコンクールという話題は皆無であるため 45年ぶりに いろいろ思い出がよみがえった。 本当に ショパンコンクールの優勝者はドイツやザルツブルグに来ることはまずない。 反対に日本では必ずと言ってよいほど 5年ごとの勝者が来日をするし コンクールの前後はショパンの曲が良く弾かれているのが実情だろう。
私が初めてショパンコンクールという名前を聞き知ったのは 大学1年の1970年のことである。 恩師 井口秋子先生が ワルシャワにコンクールを聞きにいらっしゃったためにレッスンは2ヶ月ほどなかったからだ。 そして 帰国されると 先生は突如生徒全員にショパンの曲を弾かせた。 1月は学年末の実技試験があるので みんな 試験にショパンを弾くハメに なった。 先生は私にマズルカを与えた。 何にも基礎の技術も何もない私にまでショパンを与えられ ほかの生徒が バラードやポロネーズで 華やかに弾きまくるなか 悪戦苦闘を強いられていた。 今 冷静に考えても ノクターンぐらいが私にぴったりだったと思うに 先生はどうしてもワルシャワの雰囲気などを誰かに伝えたかったのだろうと思う。強引だった。 そのころ 確かにアルゲリッチやポリーニなど 来日するたびに 批評家の野村光一氏が 特にアルゲリッチの演奏には惚れこんで、ショパン、ショパンという種を 音楽界やピアノ教育界にばらまかれた。 あの時 日本全国にピアノを学ぶには教育地盤=ショパン という考えが植え付けられていったと思う。そして 深くいろんな研究が何十年という歳月をかけて思考され続け 本当に今回の参加者のように どの人も素晴らしいテクニックを持った人が 全国で育つようになったわけである。各地に学生の 子供のためのコンクールも いくつも催されるようになったわけである。その少しずつの発展を 思い出し この約50年にわたる 地道な教育のシステム化に 喜びを感じるのは 今70歳を超えたシルバー世代であろうとおもう。 話を自分に戻すと・・・ そして時は過ぎ 1975年 なんで私が??という またもや強引な諸先生方の御意向で そのショパンコンクールに出場する羽目になった。わたしは ドイツに留学を希望しており 親は留学に猛反対であったため すべての資金を自分で作るために DAADという奨学金制度で 留学する計画を立てていた。 とにかく勉強したかった。 毎日NHK音楽コンクールに出たのも何か肩書がなければ到底むつかしいDAADの試験に受からないと考えたからである。しかも渡欧費用も何とか工面するためには派遣コンクールという名のコンクールで賞金をいただきそのお金で航空券を買うためであった。 そういう時に DAADから1975年7月4日に知らせが来て 7月8日からのドイツ語研修を2か月するよう、電報が届いた。持てる30kgの荷物に必要最低限のものを詰め込み出発したのである。 8月末までアロルゼンという田舎でドイツ語を教わり ピアノは練習しなかった そして9月にワルシャワに行き そこで レギナ・スメンジャンカ教授のもとで ショパンの特訓を受けた。コンクールは10月にはじまる。 ワルシャワには10月末まで滞在した。その時に体験したポーランド人の生活や考え方やポーランドの自然は 私がショパンを弾くときのインスピレーションの糧に今もなっている。 私は3次予選には行けなくて そのあとは同世代の演奏を拝聴するチャンスが回ってきた。 どうしても自分が弾かなければならないとなるとほかの人の演奏はじっくり聞けないのである。 1975年のコンクールをじっくり聞きに来て次回の参加のために下見をしに来ていた海老さんは さすがに1980年の時に入賞なさったと思うし その後もキャリアを積まれて 今回のコンクールの審査員として ご活躍しておられる。そういう準備は 私には無縁だった。 何とかして 日本人の上位入賞をと懇願なさっていた諸先生方のお知恵もあって やがてワルシャワに留学をする学生が出てきた。 日本にもポーランドから教授たちをお招きしてレッスンがなされていった。そういう交流が EU加盟の前に 芽生えだしたのである。 今回 コロナというパンデミックで 開催が1年延期され かつ ビデオ審査で参加者数を減らし 本番もユーチューブで全世界に流すという全く新しいコンクールの進行となった。 ライブでも そして今もなお コンクールの全参加者の演奏を見ることが出来る。 ただ あのホールの美しい残響はユーチューブでは聞けない。かつ審査員の座る2階中央のラング席での音量などは ユーチューブとは別物のはずだ だけれど 参加者一人一人の演奏スタイルや 完成度は 聞き取れる。 私が好感を持ったひとは 1位のカナダ人と 2位が二人でている中のイタリア人と 3位のスペイン人と 4位の日本人女性だが その人たちが入賞したのは 良かったと思う。 2位になった日本人の男性は 頭の中がAI(人工知能)のようになっているのが危険だと思っている。彼の演奏に人間を感じとれない。 もちろんコンクールに優勝する目的で ビジネスのきっかけとしてコンクールを踏み台にして参加しているだろうし やれるだけの根回しもし 環境も整えもして参加しているから このコンクールで予選敗退という結果でも出れば もうピアノから去るぐらいの決意で臨んだのだろう。 この結果で演奏依頼が舞い込んできて忙しく生活できるようになれたらそれでご満足なはずだ。 それでお幸せなら それはそれで その人の人生だ。 ここまで書いたときに 指揮者のハイティングの訃報を知った。 続きを書く元気は無い・・・・・。 #
by hiroko-miki
| 2021-10-23 23:07
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特に 台風一過で 晴天も晴天です。 緊急事態宣言が 解除され 窓を開ければ騒々しい音があり 皆さん動いておられる様子。 台風と一緒にコロナ菌も 日本を離れてくれたらいいのにね。 10月9~11日が また連休です。 京都への観光客もさらに増えるだろうから 10月20日ごろから また陽性者数が増える??? 窓を開けると きんもくせいの香りが感じられた。 し あ わ せ な香り!! #
by hiroko-miki
| 2021-10-02 21:31
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ここは 私にとってのヘルブルンナーアレー in Kyoto ヘルブルンナーアレーは ザルツブルグにある 長い長い距離 (2,5km) の並木道の名前です。
この京都の並木は 僅かな距離だけれど 静けさがあり ちょっと ザルツの気分に浸れる。 この先に 植物園があり その中のバラ園を見れば ザルツのミラベル庭園の中のバラ園を思い出し 香りまで思い出す・・・・・
植物園は 今 緊急事態宣言で 閉園している。 植物園は私にとって憩いの場所なんだけれど なぜ 閉園するのか 理解に苦しむ。 そこで 黙っていられない虫が ムラムラとでて また電話する 植物園の広さが ホームページではすぐに分からなく 電話して聞いた。 電話口に出た人もすぐには答えられなく 調べてもらったら 24万ヘーホーメートルという答えが返ってきた。 東京ドームのグランド使用面が 13000ヘーホーメートルだから 18個分 甲子園なら スタンド入れて22600ヘーホーメートルだから 10、6個分 こんな広い場所は 密になれるわけもなく また 換気の必要もいらなく しいていうなら 植物園に来る時の公共交通機関利用が緊急事態宣言中の外出禁止に触れるからなのだろうか。 勿論 電話口に出た役人は 緊急事態宣言だからとしか 答えない。 植物園の美しい植林を見ることは 不要不急の用事ではないと判断されているのか???? とても残念 状況において 臨機応変に 変えていってほしいと 強く願う 「一日の入場者数に制限を設け 来園する人の交通手段を判断の材料に 一日50人ぐらいは電話事前予約を取ってはいかがかと 特にまだ動けるご老人たちのお散歩に 心の憩いの場所をサポートしてくださるよう、 次の会議に提案をしてほしい」と 電話でお願いした。 居酒屋で 精気を養う人もいる 音楽会で 精気を養う人もいる 植物園で 精気を養う人もいる 毎日生きることに生気を失っている人もいる・・・・ オー コロナよ、 戦いはいつまで続く?? #
by hiroko-miki
| 2021-09-25 20:44
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授業での内容は 最も懐かしい。 やはり文化が違うから大学入学以前の義務教育それ自体が全く違うので 授業の内容は ザルツでやっていた授業は日本では全く役にたたない。 少しずつ 日本で何が求められて 何をすれば役立つのか わかりつつあるが まだまだ 最適な 日本での日本人への教育 を把握するには 時間と研究が必要だ。 さてさて 台風がくるということと 連休があるということで 郵便局やスーパーに出向く。 道端にきれいな彼岸花が咲いていた。 お花は コロナなんて関係ないよ、っと おなじ時季に ちゃんと咲いてくれる。 そして 家のそばの繁盛している食料品店は デパ地下以上に混雑していて 私は2重にマスクをしていくのだが 大雨の前の買い出しはみなさんが考えることだから 家の前にも ずらーり車が停車する。 そして今日も事故が発生した。道幅が狭いのに止まっている車が 外車ばかりの大型なので 残った道路の幅がとても狭くなり 十字路では信号機も見えない。 めちゃくちゃ腹立つのは そういう外車に乗っている方は 罰金の1万円?が チップだと思うぐらいに なんとも思っていないことだ! 怪我をしたり 破損するのは 止まっている車ではなく そこを通過する車なのです。 今日は怪我人は出なかったけれど たまたまその事故を私は目撃したので お店に入って 「また事故だよ、 警察に連絡して!」 と。 とばっちりを受けるのは 動いている車。 止まっている車は引き金なんです。 でも お店に連絡して道路に出てみると その止まっていた車は 逃げるようにその場から離れていった。 車がお店に直撃して入口に突っ込むような事故が起こらない限り みんなはわからないのだろう。 #
by hiroko-miki
| 2021-09-17 16:56
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カレンダーは9月になりました。 京都の暑さは ここに書くまでもなく皆さんご存知ですが やっと夜 2階にある寝室の気温が31度に下がってくれました。クーラーなしで寝られます。 じーっとじーっとして 8月は暮らしました。 といっても寝ていたのではなく オリンピックやパラリンピックのTVは しっかり見て 感動をいただいています。
家のそばに TV にも出て有名になっている食料品店があり そこには市外からも買い出しに来る人で大変繁盛していますが 駐車場を利用することなく近隣のそこかしこに停車する車が あとを絶ちません。 そして事故も頻繁なのです。 でも誰もこの状況を改善しようとは動かないです。 同じ町内の市民は もう何年も同じ状況にあきらめていて 我慢をし続けている状態で 「どうしようもない」と 思っている様子です。《でも本心は違うかも。 厄介なことにかかわりたくないのかもですよ。》 でも じっとしているのが嫌いな私は 道路の規則を学びました。標識が立てられる基準も学びました。役場や警察や土木事務の方から教わりました そして 人間の心理として駐車場を利用しない心理を考えました。 それでいくつかの解決案をもって 市民の不満窓口たらにお出かけしました。 どうなるかを今 見守っているところです。 が 案外早くに 警察が状況を見に来 食料品店内のレジのそばに 張り紙が貼られました。 買い物を済ませた時点で しかも読みにくい場所での張り紙では 儲けにはさほど影響ないわけですから お店としては 微々たる策ですね。 事故が起ころうが 違反者が出ようが お店は 来客数が減ることを怖がっています。 事故を減らそうと思えば はっきりやり方がありますが・・・。 まあ なんでも動きの遅い役人たちですから 見た目に変わったとわかるまでには 1年はかかるでしょうが 日本に暮らして 京都だけではなく いろんなことで 腹立っています。コロナ対策だって ワクチンより基本の消毒等の行為と 気のゆるみをなくす、免疫力をつける、ことが 最も重要だと思うけれど そういうことは報道しないですからね 秋雨前線が停滞するようだということで 庭の手入れをちょこっとやりました。 植木鉢にあたらしいお花を植えました。 いくつか持てる範囲の量の買い出しをして 家に帰ってきてから見たら なんと MIKIというお名前のお花を買っていました。表札代わりに このお花を並べたいと思いましたが 夏のお花だそうで ガンガン日当たりが必要だそうで 表札のあたりには向きません 残念! でも 可憐な花で いつもこのようなやさしい心を失わない人間でありたいと思います。 #
by hiroko-miki
| 2021-09-02 21:56
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