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ポルトガルの女流ピアニスト ピリスがシューベルトを弾くというので行って来た。彼女の演奏も久しぶりだ。
むかしむかし ヴァイオリンの塩川さんとのデュオを 東京で聞きに行ったのが 初めてで あれはもうかれこれ40年も前の話になる。日本にも時々行っている様子だが なかなか京都まできてくれないし おそらく 今後演奏会を聞きに 私が東京まで出かけることは予定に組めないこともあるので出かけた。女性で70過ぎてもステージに立てるということは すごいことだし 今の彼女をしっかり聞きたいとおもった。 今回は 若手の青年が1曲 彼女が1曲、最後に二人で連弾で1曲という ぷろぐらむであった。 あいかわらず ピアノのコントロールは素晴らしいし 以前にもまして 自然体で無理が無い。 あそこまで舞台の上で 力み無く弾けるのはさすがだ。 演奏中にときおり顔をだす彼女の本性と 演奏が進行するにしたがって その場の成り行きにまかせる ”間” のとりかたなど 何を目標にしているかがくっきり伝わってくる。 最近は シニアの演奏会なら 出かけたいと思うようになっている。 若い人はバリバリ弾くけれど ちっとも面白くない。 ピリスは すべてが終わったときの顔が とてもチャーミングであった。 細い体だから こういうドレスも良く似合っていた。 年をとると真っ黒よりグレーの方が きれいなのかもしれない。 参考にさせてもらおう。 写真を載せる許可は取れていないが・・・・・怒られたら・・・・・消去します。 ![]() ▲
by hiroko-miki
| 2016-12-08 23:20
| 音楽会
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学内でモーツアルテウムの先生が演奏会をなさった。この先生の演奏はもう何度もしかも長年聞き続けている。たしか 初めて聞いたのが 今から35年ほど前だっただろうと思う。 当時は彼は35歳ぐらいと思うし 今70歳でいらっしゃるから この35年間の演奏の変化、解釈の変化などを 聞き続けることは とても興味深いこと。。
今回はシューベルトのソナタ 2曲のプログラムだった。 解釈は私がライグラフに教わったものとは全く違う。 だから つい聞きながら あそこはライグラフはこういう解釈だったな~とか結構昔のレッスンを思い出してしまった。 ![]() 。 ▲
by hiroko-miki
| 2016-11-19 14:10
| 音楽会
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ご無沙汰です。 ほぼ1ヶ月ぶりになりますね。
ここ数週間 何人のピアニストの演奏をきいていたことでしょうか 有名、無名のコンサート、 コンクール、 試験 などなど・・・・・いろいろ考えさせられることの繰り返しです。 試験はあと1週間つづきますが なんだか 早くどこかに旅行に行きたいという気持ちです。登校拒否に襲われつつあります。 一回 のんびりしたい・・・・・・。 今日は何週間ぶりかで 一日自由な時間がありました。 ひさしぶりに 朝市で 買い出ししました。 今年 はじめての さくらんぼと Lehnerさんちのイチゴです。 フィングステンのころは 真夏日の連続でしたが そのご 快適な気温にもどっていますので 果物も程よく熟しています。 ![]() ![]() 疲労回復にビタミンをとらないと。 買出しからもどって 久しぶりにご飯を炊いて お魚の和食。 つい食べ過ぎて 食後はウトウト気分。 ちょっと昼寝のつもりが 結局夕方まで寝てしまった。 昼間に家に居ることはほとんど無いので よく見ると あそこもここも ふき掃除せねばと・・・・ ほこりが見えてくる。 でも 雑巾掛けする気もなく、 全部の試験が終わるまで 目をつぶることに。 夜は アルフレッド・ブレンデルのシューベルトとベートーベンの弦楽四重奏の作品にかんしてのレクチャーを聴きにいった。彼の話は45分ほどだったが この45分がすべての疲労を拭い去ってくれた!! それはなぜか?? そう、 ブレンデルの音楽に対する姿勢、 かれがいつもピアノ演奏で聞かせてくれていた音楽に対する魂が 言葉を通しても 同じ様に伝わってくる。 それは 彼のオーラとか人柄ではなく 彼の音楽への取り組み方なのです。 あの取り組み方に共感します。 ブレンデルのような偉大なピアニストが 何十年にもわたった演奏活動をやめたあと、それでもなお 音楽の偉大さ、作品の面白さに感動をしつつ語る。 そして私は彼の音楽への愛の深さに ただただ感服していた。 この感動が 喜びにかわる。 というのも 私は 最初にも書いたように ここ数週間で おそらく100人以上のピアニストをきいていた そのなかには 日本でも人気の クリスティアン・チメルマンの ベートーベン最後のピアノソナタ3曲の夕べにも出向いた。しかし演奏は なんだか 地獄に引き連れていかれるような解釈で 疲労がとれるどころか 疲れきってしまった。 その夜 帰宅してテレビをつけると ちょうどウイーンからの中継で 人気ピアニスト ランランが映っていたが これはエンターテーナーで おそろしく速いスピードで トルコ行進曲を突っ走っていて 益々疲れた。 大学では ピアノ科のほとんどの生徒たちが参加し、 ドビュッシーの前奏曲第1巻、第2巻 スクリアビンの前奏曲 ショパンの前奏曲を 一曲ずつ交代しながら弾くという マラソンコンサートの催しもあった。 途中休憩もなかったので本当に3時間以上演奏がつづいた。 それに コンクールにも立ちあったし、学年末の試験でも 何人ものピアニストを聴く。 しかし なにか 教育の方針と言うか 最近の流行と言うか ついていけない演奏が多い。 下の写真は 講演のあった場所。 生の植物がステージいっぱいに飾ってあった。 ![]() ▲
by hiroko-miki
| 2014-06-22 07:04
| 音楽会
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あっと気づけば 1月ももうあと数日ですね。 モーツアルテウムの別のクラスの生徒さんから ブログ更新してくださいッ!!、って催促がありました。 いろんな方が読んでくださっていて 嬉しいような おっかないような。。。。。。。
さて 1月27日は モーツァルトさんの258回目のお誕生日です 毎年この誕生日の前後に催されるモーツァルト週間の音楽祭は 必ず大学の学期末とかさなって <お お い そ が し !>の時期なので チケットを買うことは最初からあきらめています。 ところが 同僚から 金、土、日曜日の3日連続して行われるコンサートの (本番は朝11時開演のコンサート)のリハーサルが それぞれの前夜にあると教えていただき リハーサルと本番を組み合わせることによって 3日間で聞ける全曲を 聞くことができました。 プログラムは モーツァルトの1784年とタイトルして KV449からKV459の11曲を3日に分けて演奏するというもの。 KV449, 450, 451 はどれもピアノ協奏曲です これが一日目 KV 452 は ピアノとオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットとの5重奏 453は ピアノ協奏曲 454は ピアノとヴァイオリンのソナタ 455は ピアノの独奏曲で変奏曲 456は ピアノ協奏曲 これらが 2日目 そして最終日は 457は ピアノの独奏曲で ソナタ 458は 弦楽四重奏 2つのヴァイオリンとヴィオラとチェロ 459は ピアノ協奏曲 でした。 ピアノと指揮は アンドラシュ・シフ オケは CAPPELLA ANDREA BARCA という名前のオケです。 シフが1999年から2005年のモーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏をする際に集まった、お仲間たちですが この方々は皆さんソリストとして活躍している方々で 普段はどこのオケにも団員として属しておられない人々だとのこと。 世界中に散らばって 個々が活躍なさっている。 まず リハーサルでは 皆さん普段着ですので どの団員さんもおなかまわりのお肉が メタボだな~って思う体型で・・・ どう考えても 全員60歳以上。 本番ではスーツなり 黒のロングドレスですから ずっとスマートに見えましたよ。 日本ではシニアといわれる世代だと思う。このかたがたが 満面の笑みで舞台に腰掛けている さて 会場はモーツアルテウム大学の大ホールでしたが 使用されたピアノは シフが持ち込んだ彼のピアノで ベヒシュタインでした。 ベルリンで この掘り出し物を見つけたそうです。 1921年製造で このピアノで ウイルヘルム バックハウスもたくさんのレコーディングをしたり 演奏会で弾いたとのこと。 ペダルは2本です。 どの音域もとても平均した音を持っているようで しかも タッチが軽いようです。 弱音に格別な美しさがあり 変化にとんでいました。 とても良く音が伸びます 普段は大学には スタインウエーと ベーゼンドルファーが設置されているので ベヒシュタインの響きは 面白かった。 いろいろ書きたいことはあるのですが・・・・・ はじめは まずこれらの数曲を 3日間集中して演奏できる体力などの能力はすごかろうと思ったし、 エネルギーの配分に興味がありました。 同じプログラムを3回弾くのと違って 毎日変わるわけですから それは大変なエネルギーのはずです。 しかも シフはソロも室内楽も ピアノ協奏曲もなにもかも 一人でやってのけるのですから それだけでも驚異的。 そばにいた同僚が 自分の演奏にだけ日々集中していればよいのだから 出来て当然 という意見を言っていました。 (この方 負け惜しみつよそう~) たしかにわれわれ凡人は まず そしてたえず 人様の世話をして 残った時間で自分の練習の時間を見出すわけです。 しかし年とともに自分の時間が取れないばかりか そのわずかな時間も疲れ切っている。 自分が優先されることは決してない。 愚痴っぽいな~ 天才には 神様がその人のお世話係をちゃんと回りにつけてくれているのですね。 今でも思い出すのが シフが結婚したてのころ 彼は手ぶらで町を歩き まるで脱力の練習をしているような歩き方をしていました。しかしそのそばで いろんな荷物をもってシフの早足に追いついていくのが精一杯かのように見受ける歩き方をしていたのが 奥さんでした。 女性のほうが荷物を持つなんて とても珍しい光景でしたから 良く覚えています。 奥様は小柄な日本人でいらっしゃるから 目につくのは当然でした。 (そういえば ポリーニも楽譜すら自分で持っていなかったし。。。。。。リヒテルは 楽譜を抱えていたな~) しかし この奥様の内助の功があるからこそ シフはここまで成長、発展できたと確信します。音楽家という普通では考えられない発想も感情ももっている人種のお世話は 普通の人では勤まらない。シフの奥様はヴァイオリニストであり 今回もKV454のソロとすべての曲の第一ヴァイオリンを弾いておられる。 DUOのとき シフは彼女を隅々から支えるように愛の手が差し伸べられていた。演奏上はもちろんシフが支えているわけだが おうちでは結構 カカア殿下 なのかもしれない、とおみうけした。 今から40年も前の話だが 野村光一氏が このヴァイオリニストを聞きなさい、とわたしを演奏会に連れて行ってくださった。 いまはすっかり白髪のご婦人になっておられますが 天才が天才をひきつけた。類は類をよぶ。 話がそれました。 シフの演奏は そういう時代から 数年に一回のわりで 何度か聞いています。時にはこの人は 何にも考えないで弾いているのではないかと思ったこともあります。ポケーとしている音に聞こえたこともあります 音色を変えたりする弾き方は していなかったでした。 でも 今回はピアノが弾きやすいからか いつもとは違った。 目指す音楽がくっきり表現されている。 もちろん 集中しているときと 集中力をセーブしているときとあったし たえず集中しながら弾くのではないようだ。集中しているときは素晴らしかったし のっていないときは いまいちでもあった。 それが交錯する。 休憩時間にオペラ科の指揮をしていた教授とお話できたのですが [素晴らしいですね、]と私が言うと その教授はご年配なのですが [こうなるには時間がかかる]、とおっしゃった。何年ものつみかさねた練習と経験と それに周りの理解と協力と 何もかもに時間がかかる。 このオケとも 深い信頼関係の上で しかも15年は一緒に仕事をしているパートナー。何も語らずして 視線だけで意思が通じる お 仲 間 た ち なのだ。 そして 彼らはシフの目指す音楽をよく理解し、その音楽の一面を担うがために 溶け合う音を発音する。 団員全員のエゴのない、協調と美しい音楽のためにだけ そこに生きている心は 涙が出てくるほど美しい。 また脱線してしまうのですが・・・・ 特にKV458の弦楽四重奏を聴いているとき その出てくる調和された音楽の素晴らしさに こういう音楽を日本の皆様にもお聴かせしたい、と思った。 それは ザルツブルグだからこそ聴ける音楽。 日本では有名な演奏家は訪日するけれど 音楽の質の上での優れた方が演奏に招待されているわけではない。 特に2楽章では 《まさに 心が洗われる音楽》 であった。 こういう音楽をききながら おいしいケーキとコーヒー 最高の極楽だろうな~。 生クリーム以上に滑らかな音、 まろやかなきめ細かい響き 音楽を聞きながらよだれが出てくる。 実際演奏を聞きながら お茶していたであろう昔の王様は 音楽を聞くたびに心を洗っていたかも・・・・。 和と輪。 整治のヒントも浮かんだことでしよう。 今 新聞に毎日のように書きたてられている 日本と周りの諸国との 尋常ではない空気を何とかするには とにかくどこの国の政治家も まず 音楽を聞く心の そして 耳のゆとりを用意していただきたいな。。。。。。 シフがこのように成長するのに 60年 しかも音楽だけに人生をかかげている天才で これだけの時間がかかる。 われわれ人間は (たとえ天才でも) 神様ではない。 長い年月がかかるのが 当然です。 時に モーツァルトがシフにのり移ったかのような演奏。のり移ったら もう 絶賛される演奏だ。 心が笑い出す。嬉しいの一言。 そう、 演奏家たちはこの音楽に浸れるから 幸せだから 疲れはしないのだと思いました。 シフは舞台上で完全に脱力できるまでステージをふんでいる。 筋肉の緊張はほとんどない。 曲の解釈は何年も熟考されているから これも舞台では変更の必要もない。 アンプの怖さとかも 心配御無用なほど 弾きこまれている。 それでも早朝はまだ身体がねむっていたからか 昔の癖がでていたので ソナタでは不満足そうな顔つきだった。 しかし その不満足時にどうステージ上で調整していくのか 私には興味津々 興味津々 彼は音楽に耳を傾けることにのみエネルギーを使っている。 それも素晴らしい音楽にだけ 耳を傾ける。 その耳が モーツアルトのインスピレーションと合体するほど研ぎ澄まされたとき シフは満足し 聴衆は恍惚状態になる 素晴らしい音楽に浸っている時間が より元気に より健康にさせる 幸せすぎる演奏会だった リフレッシュして ピアノに向かう ▲
by hiroko-miki
| 2014-01-28 02:07
| 音楽会
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下の写真は ザルツブルグ郊外にあるホールの外見です。ここで 昨晩A君の通っているギムナジウムのコンサートがありました。A君については 以前2010年6月6日 および 2010年6月27日に記載したことがあります。彼もいよいよ このギムナジウムの最終学年生になりました。このコンサートの後には Matura-Abitur のギムナジウム卒業、大学入学資格試験の受験がまっている学年です。このギムナジウムで音楽を選択している生徒たちによる合唱をメインにしたプログラムでした。 前半は混声、男声、女声のクラシックのみならず モダンな楽しい選曲もまざったプログラムでした。ときどき笑いがこみ上げてくるほど愉快な演奏でしたよ。
![]() 平均すると18歳の彼らは 今後兵役の義務をするもの、仕事につくもの、進学するものと道はさまざまに別れていくわけですが 50年後の彼らが 昨晩の事を懐かしくおもい、笑って語り合えるような平和な人生をずっと送って欲しいと とても強く願いながら聞き入りました。どんなことがあっても話し合いで解決し、決して戦争になってはいけないと・・・それは年配者の義務だと思いました。演奏からの感動は どれだけ時間をついやして練習に励んだんだろう、という努力とか どれだけ助け合って演奏会を成功に導こうと協力し合っているかという様子や どれだけ互いに褒めあっているかという信頼性など・・・素晴らしい原点に充満していました。 そして 後半は このA君が作曲した“11311”というタイトルの『合唱と打楽器とピアノのための作品』が初演されました。 演奏時間は45分ほどだと思うのですが あっという間に感じました。 3楽章の形式です。 2011年3月11日のあの災害に心から動揺したA君は あの時TVで見た画像などから 災害の恐ろしさや死への恐怖と生への不安を音楽で表現したいと語っていました。死とは?生とは?突然あのような災害が自分の身におこったらどうすればよいのか?そういう疑問との葛藤に 言葉では言い尽くせない感情を音で表現するため 夏休み中ずーっと作曲に専念していました。出来上がった曲は大曲で、 そして昨晩本当に上演されたのです。 私の印象では 第1楽章は災害の起こったその瞬間をリアルに再現しようとしているようでした。第2楽章は死に向かう恐怖、不安をきわめて残忍に表現し、第3楽章は生への喘ぎと錯乱とそしてまた 未知をも表出しているように感じました。 打楽器が心拍や心情を表現し、ピアノは合唱への音とりの助けに多く使われ 時にサイレンの実際の録音までをも状況描写にうまく利用したりしていました。 日本でおこった災害がきっかけで作曲されていますが 日本的な和声とか雅楽の響きだとかは一切使用されていません。唯一 最後の最後の小節で 日本の除夜の鐘のような一回きりの単一な鐘の音がゴーンと打たれ それが静まるまで静かに待って 終曲となるように構成されていました。 ![]() 音楽というものは 楽しいというだけではなく 時には《考えさせる力》、《考えを変えさせる力》をも持ちます。そして若者とはいえ発言、説得力、才能に驚かされもします。全身全霊をこめた熱演に敬服の念もこめて 満場の会場から惜しみない拍手がなり続きました。 とかく現代曲、現代音楽となると やかましいとかガシャガシャしているとか 突拍子も無い音の連続であったりして 意味の無い音楽が多い中 A君は (わずか17歳での作品ですが) 大変まじめに真摯に 意味の深い表現力のある曲を作曲しました。 絶賛します。 曲の細部までよーく考えられて作られていました。そして動機があの東北大震災と福島ゆえに 日本の皆様にも是非お知らせしたく思いました。 私にしてみれば はじめてA君がレッスンにやってきたのは 背丈がまだ私のバストにも届かないころでした。今は立って話をすると私の首が疲れるほど上をむかなければならないくらい大きくなっているのですが どうしても昔のかわいい姿と重なってしまいます。 でも背丈だけではなく音楽家としての順調な成長ぶりに 心から喜ばざるを得ません。 、 ▲
by hiroko-miki
| 2012-03-03 23:55
| 音楽会
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![]() 演奏会のお知らせをさせて頂きます。 11月12日 (土) 午後 3時開演 (2時半開場) 京都コンサートホールムラタ ホールは、JR京都駅より 地下鉄烏丸線で北山駅まで(20分ぐらい)、1番出口から徒歩3分です。 1番出口には階段しかありません。 地上に出られたら 信号を渡らず すぐ右におれて歩くと 資料館の建物が見えだし、 その隣がホールです。 ちょっと横道にそれたご案内: 北山駅には植物園があります。 その方面の地下鉄出口には エレベーターがありますし、地上をぐるりと回ればコンサート会場まで 段差なしでお越しいただけます。 この植物園は 1924年に開館した最初の公立の植物園ですが 1946年から12年間連合国軍に接収され閉館し、戦後に再開されて 丁度今年が50年祭にあたるとかで 園内に新しいカフェーもできているそうです。 園内には 東に東山三十六峰、 西に鴨川、 北に北山連峰を臨む景勝地もあります。 北山駅周辺はブティックなども並ぶちょっとおしゃれな通りです。 リサイタルのプログラムは : モーツァルトのロンド D:Dur ベートーベン 月光ソナタ ショパン 葬送ソナタ 休憩をはさんで 後半は リスト 愛の夢 ドビュシー 月の光、2つのアラベスク プロコフィエフ ソナタ2番 です。 かなり長いプログラムです。 でも退屈しないですよ!! 優れた作品ばかりだし、美しい曲ばかりだから。 今回のプログラムは 自分にとっては珍しい選曲だと思っています。 それぞれの作曲家の<ロマン>というものも比較出来ますね。夢の持ち方と夢見る場所の違いも曲に現れています。 その上 京都コンサートホールのモダンな設計は きっと普通では味わえない夢の世界へと導いてくれ いろんなインスピレーションがわく事でしょう。 チケット販売の詳しいご案内は このブログの左上側にある 紫色をした Hiroko Miki Offical site をクリックして頂き さらに その中の Informationを クリックして頂くと ご案内が出てまいります。 ご来場をお待ちしています。 ▲
by hiroko-miki
| 2011-11-03 12:28
| 音楽会
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去る聖霊降臨祭の日曜日 久々にオペラに行きました。
こちらは今が学年末。 授業のほか、試験や 最後の演奏会など、大詰め詰めの日々。 ピアノの音ばっかり聞き続けている連日、ストレスが破裂しそうな連日の中 本当に 《水入り》 の気分で とても楽しかった。 Saverio Mercadante の < I due Figaro > です。 メルカダンテ(1795-1890)という作曲家はイタリア人。 時代的には ロッシーニのあと そして ヴェルディーの名声におされて影を薄めてしまうまでの間に活躍したオペラ作曲家です。 19時半開演 音楽祭劇場の小ホール Haus fuer Mozart と名づけられているホールの外見です。早くに来ている人がベランダから道行く人を眺めています。 ![]() 建物の中に入ったところが ↓の写真。奥のほうにクロークがあります。 ![]() 私は3階席の真ん中(80ユーロ)を買っていたので 階段を上ります。勿論エレベーターもありますが 努めて歩くようにしています。 ![]() ![]() 階段付近の装飾がきらきらとして (おそらくスワロフスキーと思われる) デコレーションがとても綺麗です。 ![]() まだ ほとんど誰も腰掛けようとはしていないうちに 場内を自分の席から写しました。 ![]() ストーリーを知らない私は プログラムを買ってきて ざっとナナメに解説を読みかけたのですが あとから入ってきた人のために 座席を立ったり座ったりを繰り返していると 読みきらないうちに 場内は真っ暗になって・・・・・・ 舞台の上部にある電光掲示板でのドイツ語と英語の歌詞も出てくるので まあ、「何とかなるだろう・・・・」と思いきや、ぜんぜん 私の視力では 見えない、 読めない。 もっといい席にすれば良かった、って後悔。 しかし一応、舞台は全部見えるし 音響はとてもよく このお値段としては良い席でした。かえって歌詞に気をとられることなく 十二分に音楽に耳を傾け 舞台を熟視できました。 このオペラについて理解できたことは モーツァルトの<フィガロの結婚>のストーリーの続きを想定して書かれたコミカルなオペラで 伯爵とRosinaの結婚生活も続き 娘のInezが適齢期になり 身分不相応な人を愛してしまったがゆえに 悶着があって しかし 最後には めでたしめでたしとハッピーエンドになる、・・・と。 休憩時間に ドリンクの飲める部屋をうろうろ。 ![]() その天井画をアップで撮ると ↓ ![]() ベランダにも出て行き お外をのぞくと 夜9時過ぎでも フラッシュ無しで撮れる明るさ。 ![]() ホールの外壁には ↓のような彫刻も見つけました。 ![]() カーテンコールの様子 合唱団と合唱の指揮者。 ![]() 独唱者が 次々ステージに出てきて ![]() ![]() そのあと 指揮者が出てきて ![]() ![]() そして オケの団員までも 舞台に上がらされて(その写真は撮っていません) 客席の人もバイバイと手をふり 舞台からもバイバイと手をふり さよ~なら しました。 終演は23時だったので このオペラの上演時間は3時間とちょっとぐらいでした。 久しぶりに楽しめたオペラです。なんかのんびりできて 良い時間をすごせました。 舞台美術はシンプルながら お花を一杯使用して 大変華やかに美しくしており 照明も懲りすぎず良かった。 衣装が 近年には珍しく (本当に珍しく!!) 伝統的な衣装で、品もあった。総体的に《味》がありましたね。 もう一回見たいと思います。 R.Muti 指揮 F.Sagi 監督 Giovanile Luigi Cherubini オーケストラ ウィーンフィルハーモニー合唱団 独唱の歌手たちは あえて若手の無名新人を起用しています。 いつものMutiの指針です。 ********* 余談 夏のザルツブルグ音楽祭に出かけようとご予定の方々に申し伝えたいのですが 音楽祭劇場の特に大ホールの椅子は硬く 前後の客席間隔が狭く 長時間じっと座っているとどうしても 足が疲れます。膝から下がだるくなります。女性の方はドレスを思案なさると思いますが かなりヒールの高い靴をはかれて 血行を良くするシームレスもおはきになって ウエストも締め付けないものが良いように思います。 時折 和服をお召しになる方を見かけますが 足がつらいのではないかと思います。 なぜなら 椅子の寸法が日本と違います。 というか 早い話が 足の長さの違いを思い知らされ・・・純 大和撫子サイズにはストレスが倍増し・・・。 まあ、休憩時間には なるべくうろうろと歩くことをお勧めします。 ▲
by hiroko-miki
| 2011-06-21 04:36
| 音楽会
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大成功! 大成功! 大 成 功!!!!
無事に終わりました。 おてんとさまのお力を借りて 大成功に終えることが出来ました。 皆様の応援のお祈りも届きました。 本当に有難うございます。 お天道様のお助け その1. 雨が降りませんでした。 それどころか 時折 日が照リました。気温は5月にしては低気温で、外気がプラス8度ほどだったと思います。 ということは教会の中は大抵それより5度低いので 3度ほどです。まあ、冷蔵庫の中のような温度です。 しかし 雨が降らなかったので これ以上の客足は期待出来なかったと思っています。新聞でもラジオでも報道してくれたのですから。 余談 その1; 午前中、数人の学生が手で抱え込んで 近くの音楽祭劇場からお借りした椅子を教会へ運び込んだ際 あんまり一生懸命に運びすぎたのか 神父様に 「消防法にふれるから 減らすように」 と言われてしまった、ということを 午後のレッスンに来た生徒から聞き知りましたが 400席ほど並べたということです。 また戻しに行ったりしたとかで その姿を想像すると涙ぐむ。 演奏者の数より聴衆のほうが少なかったらどうしよう・・・・・と心配しましたが お陰様で350名ほど入ったようです。 お天道様のお助けその2。 演奏は 本番が一番よかった。 指揮者が練習のときに 「このコンサートの意図からして 神様のお助けがあってうまくいくに違いないでしょう。 そう願う・・・・」 みたいな意味の事を言われまして、 ピターッとそろわない場所もあったのです。 そりゃー 私の持っているCDで アーノンクール指揮、シェーンベルグ合唱団のようにはいきませんが、 が、本番は 一流の演奏団体のように う ま く いきました。 (いや プロになる卵なんですね、生徒たちは。 それを忘れてはいけません。 準備期間が1ヶ月だった中、 授業に普通どうり出席し、 自分の専門の練習もし、レクイエムの譜読みをやりながら でも全く初めての運営面の雑事に挑戦しています。 留学してまだ 数ヶ月の学生もいるのです。) これは 五重丸 ですよ。 教会の残響が 演奏をより素晴らしくしてくれました。 余談 その2: この指揮者は 大変個性的な棒ふりをなさるかたで クネクネ <タコ踊り> のように両手が動くのです。どこが一拍目かわかりゃしなく 指揮棒を見ていても ずれるんですね。 練習のときの指揮と指導をしてくださった H.N氏 W.N氏のほうが よっぽど分かりやすかった。 本番の指揮者とは 5月2日の練習2時間のみのあわせです。。 あとはゲネプロと本番だけです。 この曲は 合唱がよい演奏だと 結果がよいと思っています。 上記の2人の指揮、指導者と ピアノ伴奏での練習 (ピアニスト9人!が都合のつく日に入れ替わり立ち代り 助けてくれました。) の成果が 結局本番では 《よく互いに聞き合う》ということで 息があっていたのだと思います。 合唱は自分たち<ピアノ科中心>のグループです。 自得になりますが 合唱がよかった。 いろんなことを想定して 練習をつんでいたわけです。それが功を奏して 臨機応変に本番で歌えたのだと思います。 ほとんど全員がアンプ出来ていましたからね。 余談 その3; 私はアマチュアのコンサートでも感動するコンサートを何度も体験しています。しかしアマチュアの方は 100回練習してこれでよいという演奏にまでしあげたら 101回目が本番になることが多い。 リハーサルと本番の演奏は似ている。 プロはいろんなことをステージ上で試してよりよく仕上げようとする。とくにオーケストラは本番に余力をのこしてリハーサルをするので リハーサルとは うって変わって素晴らしい出来になることが多い。 プログラムを写真に取りました。 ![]() ![]() ![]() このお習字も ザルツブルグに在住する日本人の子供たちがお手伝いをしてくれています。きっと何べんも書き直して 頑張ってくれたのだろうと思います。 またまた涙ぐむ。下の練習風景の写真もプログラムに載っていました。 ![]() もう一枚写真を。 これはチョコレートの会社からのサポートもあって、 ご来場くださった方、演奏してくださった方々にお礼の気持ちで お配りしたチョコレートです。 日の丸にありがとう、Dankeの文字を書き入れたシールが貼られています。 ![]() これ以外には コンサートに関する写真が 手元にありません。 聴衆の様子の写真がなくて ごめんなさい。 聞きに来てくださった方の感想では 演奏の途中で涙を流す人もいたとかです。 そして 最後の音が消えて しばらくしてから 指揮者が 指揮台をおり 控え室にいってしまっても 聴衆も演奏者もその静寂の中に数分じっとしていました。 誰も動こうとしないのです。 数分たってから おもむろに拍手する人がいて そうしたら ブラボーという声もあちらこちらから聞こえて 盛大な拍手を頂きました。 この演奏会は 一応録音をしていますが どのように録音されたか 今はまだ情報が入ってきていません。 余談 その4: 実は この教会の司祭が 録音技師を教会のオルガンのある場所とかに出入りさせることを拒んだのです。 なぜなら 司祭は開演の際にお説教をしたかったのですが 我々としては お話ではなく 黙祷を捧げたい、という意思表示をしました。 そこで意見が分かれて 司祭はおこっちゃって 録音技師をしめ出したのです。 なんと情けない話か・・・・・ 本来なら 全体像を捕らえた録音調整をするのですが その調整がなされていない録音になっています。 だから 音が収録されていないとかということではなくて バランスの問題です。 そう、 初めに 黙祷が捧げられました。 最初に書くべきでしたね。 私の希望としては (もし おかしくない録音なら) いつか東日本のローカルのラジオ番組にでも この録音を流して頂けたらな~と思っています。 なにしろ 素晴らしい曲ですし、 この曲を聞いていると心が安らぎます。 演奏した生徒たちは みんな 「楽しかった」 と口々に言っておりました。 また演奏を聞きに来てくれた人たち、教授たちから 「おめでとう」 といって頂いています。 余談 その5; 指揮者の最後の感想 指揮者がリハーサルの最後に最後の指示として、 「音楽祭劇場からお借りしている椅子や譜面台などを 終演後戻して下さい。」 とおっしゃっていました。 そして 終演後われらは 個々に もてるだけの量を持って お片づけにみんなして動いたのですが 指揮者がまだ色んな方と雑談をなさっているうちに =だから こ1時間ほどで= 綺麗にもとの通りに片付きました。 それを見ていた指揮者は これが日本人の姿だと感激されました。 皆が いかに協力しあい、すみやかに、無駄なく動いていることか。 誰も無駄口をたたくわけでなく、怠けるわけでなく、てきぱき。 それでいて 微笑みがある。 ヨーロッパ人では出来ないことだ、と彼は言うのです。 最後に 今入っている情報では 当日会場でご寄付いただいた金額ですが 入場料は一般が20ユーロ (2320円ほど) でしたが 100ユーロ札を入れてくださる方々も多くあり また 封筒に1000ユーロを持参してくださった方もあり、寄付金は 15.000ユーロ (170万円) を 越えております。 これは 予想をはるかに超える額でして 学生たちは大喜びをしております。感謝です。 寄付金は 日本赤十字の口座に振り込まれる予定です。 被災地でこのブログを見てくださっている方々 地球の反対側からもいつも心をひとつに応援しています。まだまだ チャリティーコンサートは続きます。 ▲
by hiroko-miki
| 2011-05-06 06:16
| 音楽会
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![]() コレーギエン教会で慈善演奏会が 5 月 4 日 にあります (19時開演)。 Mozart の レクイエム KV626 指揮はJ.CZIFRA 氏 会場のコレーギエン教会を色んな角度から写しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 入り口の所には よくお花屋さんが店を出しています。 ![]() そして入り口の案内版には 演奏会のポスターが貼られています。 ![]() こ の 演 奏 会 は 東日本大震災のための数あるチャリティーコンサートのうちのひとつです。 モーツァルテウムに在学する日本人学生たちのほとんど全員で考え この選曲になりました。自分の専門とする楽器の人はその楽器で参加をし、 ピアニストのようなレクイエムには入っていない楽器を専攻するものは 合唱で参加をします。日本人の学生だけではすべての必要とされる楽器がそろいません。 それでザルツブルグの市のオーケストラの団員や ドームの合唱団も応援してくださいます。 演奏の準備だけではなく さまざまな準備に 本当に学生たちが力を合わせてやっています。 ほとんどの学生が何かしらで協力して それはそれは その姿をみているだけで 胸が熱くなります。 モーツァルテウムには、およそ50人の日本人学生が留学しています。 1年ほど前までは、日本人の会というような集いがありませんでした。 他の国からの留学生に比べて 日本人同士につながりがなさ過ぎましたので まずは知りあって 挨拶をするようにしようじゃないか、と《MOZ会》という名前で 会が発足していました。 その会があることで 今度のようなコンサートを実行するにあたり 素晴らしい絆が固く結ばれていっています。 企画や実行委員の活動が素晴らしいだけではなく 何よりも演奏が素晴らしいです。練習を始めた4月初め頃はラテン語の歌詞の発音が難しくって 口は回らないし、音程も結構とるのが大変で 入場料を頂いていいものだろうか、と思ったりもしました。 入場券は一般が20ユーロ。学生が10ユーロです。 しかし 何度も練習を重ねるにつれ どんどん上達し、今日の練習では20ユーロは納得する額だと思いました。若い人たちの才能と努力と勇気と調和が本当に心を打つ演奏にまで仕上がっています。この誠実な心は多くの聴衆を感動に導くに違いありません。 日本にいる方々には聞いていただけないのが残念ですが・・・・。 当日は写真を撮ることが出来ないと思いますので 教会の様子を今日、写してきました。 これが入り口のドアですね ![]() 入り口付近からはこのように見えます。 現在内部の一部が修復されています。 ![]() 祭壇に近寄ってみます。 ![]() もっとアップにします。 ![]() ![]() ![]() 入り口側です。(オルガンがあります) ![]() 内部を何枚か写しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 当日は客席用の椅子を沢山運び込み 座席数を増やします。 そういうことも学生たちが手分けしてやります。 私も合唱で歌います。 あと3日。 最後の追い込みです。 ▲
by hiroko-miki
| 2011-05-01 08:14
| 音楽会
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![]() 22日の指揮者は JONATHAN NOTT という1962年生まれのイギリス人。右手に携帯電話を左手にファーストフードのハンバーガーを持っているような生活が目に浮かぶ。世代が違うというか育ちが違うというか めまぐるしくて 消化不良を起こすような 早食い演奏。 テンポが速いのではなく 早く処理しようとする。早く呑み込もうとする。拍の最初の発音だけをそろえようとする。さすがにウィーンフィルはどんな要望にも応えて演奏できる人たち。 素晴らしい労働者です。Nottの息づかいはイギリスの前の首相の話し方に似ていると言えば良いかな・・・・?しかし若い世代にはきっと快感なんだろうと思う。 ピアノ協奏曲はポリーニとの共演でした。 ポリーニは毎年夏の音楽祭にやってくる。そのたびに聴衆は彼のショパンを期待するが その期待を無視して超現代曲を弾く事が多かった。彼の人気は落ちない。 そして どんな演奏でも彼の演奏批評はいつも素晴らしい。けなされている批評はお目にかかったことがない。今回も月曜日には批評が出ていて 「自信のある雄弁」 とかかれている。 批評というものは 何故必要なのだろうか? こちらでは批評は演奏会のすぐ後に新聞に書かれる。 東京は演奏会の数が多すぎて 批評家は毎日大変なことと思う。しかし主催者側は批評家が来てくださると嬉しいものだ。 (ましてや私のような演奏でも批評が雑誌に載れば光栄の至りであることは分かっていますが) 毎日音楽会は沢山催されているのだから、毎日のように新聞にもっと頻繁にコンサート批評が掲載されたらよいなと願うし、 このようにインターネットの時代だから 色んな批評家が 批評のホームページ・ブログをつくって 批評家は感想を即 投稿してもらえるようになると 音楽界にも活気が出るのかもと思っています。 それこそ私が日本にいた1975年ごろも今も音楽雑誌に載る批評は 演奏会の3ヶ月もあとのことで その辺の所は変わっていない。 それでは 記憶が薄れてしまうのです。 あ~~や~~だ、 また中年のおばさんの愚痴だわさ。 雑誌が1月中旬に発売されても2月号というところなんて ややこしいけれど そういう決まりに40年たっても変化がないということに驚いてしまう。 ところで そういう風に即 感想を書くということを人に希望するなら 自分でも即 書くようにしようと思って 今日はポリーニと ハーゲンについて書いて見ます。 ポリーニの演奏奏法は F1のレーサーが 前方の一点を見つめながら 高度な集中力と運動神経で難しいカーブをこなしていくのに似ている。ポリーニは音楽を《見る》。熟視する。演奏中は まばたきもしない。彼自身が大変温厚なお人柄のようでも、 演奏する際は自分を機械のように設定し その彼は楽器という機械を扱う完成度に集中する。 最初の音から最後の音まで 走行(奏行)視点距離から 1ミリも外れないかのごとく保持する。その制御集中力はスポーツ的。 彼は足が短く胴が長い。前かがみで体重を指に十分に乗せ それをピターっと鍵盤に押し込む。 左手の音はかなり抑えて弾き、それゆえ メロディーが聴衆には聞き取りやすくなる どんなに細かい音でも同じだけのエネルギーをかけているため 音はそろいすぎるほどそろう。 普通ならフレーズを作るとか 音が歌うように工夫するとか 左の旋律も出してポリフォニーを表現するとか ハーモニーの変化に伴って色彩を変えるとか 情感を表現しようとか いろいろ 演奏中にやるところを かれは そういうことをしないで まっしぐらに物理的に走る。 これは やっていることが一定だから 見方を変えれば彼のしていることは単作的ともいえる。 また CDを録音したときと同じ解釈を演奏会で繰り返すということがかなり可能な奏法だから CDで聴いていたものを実際に生で聴きたいという希望を持って演奏会場に足を運んだ人に対しては裏切りが少ない。 頻繁で絶え間なく続くステージのお仕事で一定のレベル演奏をするにもっとも合理的な奏法を考えた結果だろうか? 丁度パソコンもなかった時代にコンピューター的正確さを持ち 誰もやらなかった奏法で淡々と弾くポリーニが現れた時は世界中の人が驚嘆した。 そしてその演奏スタイルを現在69歳のポリーニは殆ど変えていない。 一方、最高美の芸術に値する演奏が ハーゲンの四重奏KV465だった。 ハーゲンの演奏は頻繁に聞いている。 しかし23日の それもKV465に限っては モーツァルトの真の音楽を再現してくれた。 ステージのそでのドアが開いたときから 4人の顔つきはちがっていた。 4人は モーツァルトの音楽をのせた見えないお盆を運んできて そして 聴衆にその音楽を差し出した。 モーツァルトの音楽とは このザルツブルグの自然のようで、 さわやかな風にゆれる野草がその可憐な花びらに優しさも強さも見せ、光のいたずらに微笑を浮かべ 飛び交う蝶に愛しいまなざしを注ぐ。そのすべてが美しく、香りが漂う。 ハーゲンたちは おごりもいさみもなく どこから見ても調和していて自然で無理がない。 4人の息が合うのではなく 聞こえたのはモーツァルトの作った作品の息だった。 一曲目だったが拍手がやまなく 隣席からは 「夢のよう・・」 と感動を声にする人もいた。素晴らしい時であった。 ▲
by hiroko-miki
| 2011-01-26 18:02
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