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11月29日に 私に最初のピアノの手ほどきをしてくださり、大学受験が済むまでご教授くださった玉城嘉子先生が旅立たれた。大変長い闘病生活をなさっておられたので覚悟は出来ていたのですが やはり本当に旅立たれたと知ると大変淋しい。30日がお通夜で1日が葬儀ということで 私は飛んで帰れない自分を悔やみました。11月12日の京都のリサイタルの成功裡をお伝えでき、そのあとすぐに昏睡状態になられ リサイタルの録音は結局病院では聞いて頂けなく、しかしご遺族のご好意で 葬儀の始まる前にモーツァルトとベートーベンを 最後のお別れの時にショパンのソナタの2,3楽章、葬送行進曲の部分を流してくださったとのこと。あんな演奏をして!っともう一回目覚めてくださることを期待したのだが 大変穏やかにしっとりした旅立ちだったということです。玉城先生の教授法については いつかライグラフ先生の教授法などとともに書きとどめておきたいとは思っている。 考えてみれば 2月に私のピアノの父のような存在のライグラフ先生が旅立たれ、そしてピアノの母のような存在の玉城先生も一昨日旅立たれ 今年はなんとも淋しい年になってしまいました。 最初の手ほどきをしてくださる先生とその始める時機は とても大事だと考えていた母は 結構慎重に先生とタイミングを調べていたようで 最近になって その頃の様子を母から聞き知りました。ただ私の脳裏にはそんなことは残っていません。私には姉がおり母はなんでも二人に同じようにしてくれております。新しいお洋服もいつも同時に作ってくれたりそれもおそろえでとにかく平等です。 ところが 玉城先生の所に初めてお訪ねしたとき 玉城先生は姉だけを生徒としておとりになりました。 わたしはダメ。理由は小さすぎるから。世の中平等ではないことをはじめて体験した大事件でした。 あの時すぐにやめておければ今の苦労はなかったのに 私はそれから毎週姉のレッスンについて行ったのです。 「大きくなった」って言ってもらえるのを期待していたのですね。 そして2年ほどしたある年末に 「ひろこちゃん、来年からレッスン始めましょう!」とお許しが出たのです!!!!! それこそもういくつ寝るとお正月??と毎日指折り数えた記憶があります。 確か毎土曜日がレッスン日で 最初の土曜日が1月3日でした。 それで3日の朝 一向に出かける支度をしない母に 今日はピアノのレッスン日だと催促したら 母はお正月はお休みなのよ、来週からよ、とあっさり答えたのです。 それからのながーい1週間。次の土曜日までの おそらく人生で一番長く感じた1週間のことは はっきり覚えています。 それが私が満4歳半のときのこと、そして18歳の入試まで 14年ほど毎週お教えくださった。決して先生のほうからお休みをなさるということはなかったと記憶している。 色んなことを教育して頂いた。自分の演奏の核心にあるものは 明らかに玉城先生の理念が埋まっている。 ご恩返しは 次世代に伝えていくということから始まるのだとの想いをあらたにしつつ ご冥福を心から祈りあげます。
by hiroko-miki
| 2011-12-01 21:59
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