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先日の大雨を無事に過ごせました。
すっかり 庭の梅の実が落ちていましたが 今年は豊作のようで まだ 木に実が残っています 今日は日中 35度ぐらいまで上がるようです。 もう 普段の掃除 洗濯 炊事 アイロンかけ 買いだし をするだけで それ以外のエネルギーは残りません そろそろ 断捨離のお片づけ (特に 2階の物は) ここでストップせざるを得ません。 みなさんも 十分に お気をつけられて 暑さ対策 なさってくださいね
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by hiroko-miki
| 2025-06-17 09:57
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めったに見れないと思うのですが タイサンボクの花が開花しているのを見つけました
それこそ100年は生きている木ですが 開花が1~2日と短いから つい見落としてしまいます。樹高の高い木です。 かつ 我が家の階段入口の段差のある場所で咲いているうえ、いつも足元を見て歩くので 気づきません。 昨日からの豪雨で 家の周りに損害が出ていないか 見回りをしましたら ふと 陽が照りだし 雨が上がったなあ~と お空をみると 全く純白の大輪の花がこちらを見てくれていました。 思わずその綺麗さに 釘付けです。 花の直径が 20㎝~30㎝ あるのではないかと思います 道路から見える様子を 一枚目 少し近づいて写したのが 2枚目 お花の部分だけを 拡大して写したのが 3枚目です。 もう おしべが花被片のくぼみにおちていますね。訪れてくれた甲虫類を引き留めて 動き回るその体に受粉をまぶしてもらって めしべに届けてもらう仕組みですね。 でも毎年 落ちちゃった茶色くなった花びらを地上で見るぐらいです。今年はこんな立派なお花が見れて ラッキーです!! #
by hiroko-miki
| 2025-06-11 19:32
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もう 梅雨入りもマジカなようです。 過酷な夏がやってくると思うと 今 休んではいられません 頑張って 断捨離の続きです 個人のレッスンでお習いしていたピアノの先生のところでは 発表会というものは一切なく かわいい ヒラヒラしたお洋服を着て大きなおリボンをつけているような写真もありません。 たった一枚のピアノの前での写真があるのですが それは家で祖父母の金婚式か何かの祝いをした時に 父がこっそり撮ったものでした。 いつだったか雑誌に提供したことがありましたが それ一枚きりです。
高校も普通高校の普通科だったから 定期演奏会のようなたぐいの催し物にも参加の経験がなく それゆえ ステージに立ったピアノのそばのお写真というものすら一枚もありません。 ピアノで褒めて頂いた表彰状は 大学3年生の時に 表彰状をいただく一枚が誕生しました。 両親はきっちり額に入れて保存してくれていました。それらが入っていた額を処分することにします。 こういう額は 燃えるゴミにはいれられないし かといってプラでもないし 特別な処分に属するようです。かさばるし 重いし 壁にぶら下げても 地震があれば ガラスが危ないと思って この判断に至りました。 #
by hiroko-miki
| 2025-05-31 21:51
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お座敷の天袋から 多くの掛け軸を出しました。処分するために 写真に撮って記憶に残そうというプランなのですが なかなか うまくとれません
お絵描き教室の岩沢先生が お教室をおやめになって その後 今度は書道教室に変わったので 私はそのままお習字を習うことになりました
天袋の中から 習字の作品も出てきました 左が おそらく 小学校3年生ぐらいのもの 子供らしさがうかがえます。勢いは ありますね。 真ん中が おそらく 小学校5年生ぐらい 右はじは 中学1年生という記載があります。バランスが整い始めていますね ![]() 中学3年ぐらいかららしいですが 漢字を卒業して 短歌を書き出しています 中学3年生という 張り紙があります。 墨が薄くって なかなか 読みにくい 展覧会に 出品した時の物ですね 高校1年生ぐらいから 書は<かな文字>の小品に移っていきますが 額入りの作品は 家のどこかに まだ ねむっていると思いますが まだ見つかっていません。 なぜ このようにお習字を続けたかには 理由があります。それは・・ 小学校の5年生から6年生になる春休みの 4月1日以降の10年 全然ピアノなど音を出すことが 家では許されない環境でした。 でも 家には居なければならなかったから 静かに 書を習っていたという数年でした。 ちょっと話はソレテ行きますが・・・・ 長く書きますが・・・・ 祖父が風邪気味で往診を頼んだ医者が 注射を打った瞬間 心臓麻痺を起こし それ以来寝たきりで (結局10年寝ていた)現代なら問題視されかねない予期せぬ状況に一変しました。 その時 親戚に緊急連絡すると いくら何でもエイプリルフールにそういうことを言ってはダメだとお叱りをうけたから よく覚えています 急遽 家の中に 病院である器具が運び込まれ 家が病院のようになったのです。 現代では 救急車を呼んで すぐ病院に入院となるところ 当時は そうでは無かった。 日に三回の偉いお医者様の往診があり 24時間体制で 3人の看護婦を雇いました。 その神経は 皆 極限だったと言っても良いです。 当時の日常は 音というもの 例えば 訪問客の玄関のベルから 電話の呼び鈴 かつ (勿論 テレビは イヤホンをつけて聞いていました) 何もかもの音は 出してはならなかった。話し声も普通に出せない。 それで 母が 学校の音楽教室のピアノを 日に30分ほど触れさせていただけないか 頼みに行ってくれたりもしました。 ピアノをやめなくってよいように気遣ってくれたのでした。 結局 高校2年生になる時ぐらいから 一生に一度はピアノを毎日弾いてみたい という欲が出てきて それで 東京に進学という道を選ぶということにより 家を出ていく道を選びました。 家を出なければならないというのが 自分の切実な願いだったようです。 決して ピアニストになりたかったわけではありませんし ピアニストになれるわけもないのです。 それにふさわしい教育も 小中高のとても大事な年齢時に レッスンをうけている環境ではありませんでした。 母にとっても 実父・看護婦などの世話で 頭の中では子供の進学は気になっていたでしょうが どのようにすればよいかはさっぱりわからなかったはずで 受験には姉がついてきてくれて 東京に行ったのです。 母は家を出るとき 「受かれば良し、落ちればナオ良し」と言って見送ってくれてました。 後に 受験のころのことを母は 「家を出ていってくれて まずは ほっとした」と話していました。これで皆と同じに毎日ピアノの前に座れる、と。 高校の三学期の授業が済んで すぐ 東京でピアノを貸してくださり かつ住まわしてくださる方のところに行き 3月の初めにあった受験日までピアノに集中することが出来ました。そのような方のご協力をうけ いろんな方の応援を受け 成り立っています なにより 年子の姉が 見知らぬ土地での引率を完璧にこなしてくれたのです。この母親代わりの役は 急遽できるようになるわけではなく 祖父が倒れたときから 姉は母親代わりでした。 姉と言っても中学生の子供だった時からです 訪問の見舞い客が来たりもしますが 決して 同居している身の苦労はわかりはしません。 10年後祖父があの世に旅立った時の ある一部の親戚の態度の変化に このような身内がいることを情けなく思いました。手のひらを反す という言葉の真意を理解した時でした。 いや、 過酷な看病の生活でした。 しかも終わりがいつかとも 回復できるとも見通しがない10年です。 そういう経験をしていない人には 絶対にわからないことですが・・・。 その時の衝撃的な心痛を受けた両親は 結局 両親自身が亡くなるまで 心の奥底まで傷ついたまま暮らさねばならなかったのです。 それを傍で支え続けた姉には感謝しかない。 姉の人生を思う時 中学、高校、大学という病人を抱えた10年のみならず 結婚し、その後も姉はいつも母を支え続けた。私は東京にいくということで 姉にその重い任務を 任せてしまった。 どんなに努力しても 私が姉になることはできない。しかし 自分のできる恩返しを 常に考えてはいる。 大学を東京に選んだことが 自分の人生の分かれ道ですが さらに大学4年の時に 自分が本当に音楽を学びたいと発覚することが 起こります それが引き金で 結局 海外に行くことになります。 しかし 不思議なことで 今 書を書かなくなってから55年ほど経ちますが それでも 決しておじけることなく 筆が持てるのは やはり小さい時の学びは身についているものなのですね #
by hiroko-miki
| 2025-05-17 12:13
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今や 世界中でコンクールというものが 100以上開催されていると思います もっとかもしれない。 数えたことが無いけれど 国内 海外 それぞれにいっぱいあります。
その中でも 日本において人気のあるショパンコンクールが ポーランドのワルシャワで 4月末に 予備予選というラウンドが おこなわれました。 その前に書類審査で落ちている人もいっぱいいます。10月に行われる次のステージでは参加できる人数がきめられているので しかも その秋のステージに 予備予選をフリーパスで通過しての参加者も幾人もいるので 全く今回の予備予選と言えども 大変狭き門でした。 私がショパンコンクールに参加したのは 半世紀前の1975年です。 当時のワルシャワの様子は今でもくっきり脳裏に浮かびます。断捨離で出てきたその時の写真やら記念品やら手にして いろいろ思い出します。 さて 50年前と全く違うことは 今やインターネットでライブで コンクールの様子を同時に聞けることです。 しかも 配信された動画は 消されていませんから 後で何回も繰り返し見ることも出来 合格した人、不合格だった人の演奏を比較することも出来てしまいます。なんという 世の中になったことでしょうか!! 不思議なことにザルツブルグではショパンコンクールの優勝者は 演奏にやってきたことが無い。 開催者が招待しません。 だから 私はショパンコンクールを制覇した方の演奏を ツィンマーマン以降 まず 聞いたことがありません。 ヨーロッパとの時差が 夏場は7時間ですから ライブで聞くと 結構寝不足になるというか 体調が狂います そこへもってきて ワルシャワの結果が出るや否や 次はブリュッセルでのコンクールが始まりました。 ブリュッセルでは古典物も沢山のエチュードも現代曲も弾かねばならなく いろんな技術を安定して持っている人でないと 合格できないし ワルシャワとは違うタイプが残っていくと思います。 コンクール参加者用の JRのような交通機関のフリーパスを作って 落ちたら次の場所に移動するというそういうシステムもアリだと思うぐらい 団体移動がおこっています。コンクールに受からなければ先の人生が無いと信じ込んでいる若者が 多くいます。この病にかかってしまうと なかなか健全になりにくい。 ブリュッセルでは今回 日本人が予選に6人が受け その6人全員が セミファイナルに進出できています。 素晴らしい結果です。 これは日本の教育がいかに基礎技術の安定性で他国とは違うかなりのレベルであるかを証明していると思います。 ベルギーでは セミファイナルまでに 合格者に今 まさに出来立ての「①新曲の楽譜」が配布され これを短時間で仕上げなくてはなりません。 かつ 「➁モーツアルトの協奏曲一曲」と リサイタルプログラム2種類を提出しそのうちのどちらかを一日前かに知らされるので その「③ソロリサイタルプログラム」をも用意しなければならないから 要求されていることは レパートリーの大きさと 短時間での仕上げの能力です。 これに合格すると さらに 1週間の缶詰の期間になり 新しい新曲を一人で仕上げることの試練を課せられます。 とはいえ ここでも コンクールのライブの電波を受け取って最後に弾く人は ほかの受験者の演奏を聴くことができてしまうから 不公平が生じています。 まあ このように 大変体力・精神力のいるものなのです 大きなコンクールは 4年に一度、5年に一度という開催ですが コンクールで優勝できたとしても次の制覇者が出てきたら もう仕事は来ません 日本の学生は 特に 競争に勝つということで 自分を磨くような教育環境で育っています。このような環境を客観視し 自分の人格・音楽を成長させるにはどうすればよいかを しっかり見つめ 考えてほしいものです。 #
by hiroko-miki
| 2025-05-11 10:45
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